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日本語は難しい [家族]

保育園に通う三男(3才)は、明日からコップを持っていくことになった。
それまでは、保育園のコップというか、湯呑みを借りていたのだが、
明日からは、コップを持って行って、所定の位置に自分で置くのである。
自分のことは自分でやると言う訓練と言うわけである。口拭きタオルと、お手拭きタオルは、
今まで持って行っていたが、それを所定の位置に置くも今までは親の役目であったが、
明日からは、自分でやることになる。

今日、晩御飯の後、私が洗いものをしていると、妻が食器棚からプラスチックのカップを出してきて、
こう言った。「これ、洗ってくれる?」と。
私は洗ったのちに、妻に尋ねるべきかどうか迷ったが、聞いてしまった。
「洗ったけど、どうする?」と。そうしたら、妻は、私の予想通り「明日の朝用意するのだから、
置いておいてよ」と。
なぜ迷ったかは、妻が「これ、洗っておいてね。」もしくは「これ、洗っておいてくれる?」とは
言わずに、「これ、洗ってくれる?」と言ったからである。
私の言語感覚では、最初の二つの表現は、カップを洗ったら、どこかに置いておいてくれれば、
良く、洗い終わっても特に、報告しなくともよいという意味と取るのだが、
妻が実際に言った「これ、洗ってくれる?」という表現は、使うか別として、洗ったら、報告してねと言う意味にとるのである。
シチュエーションからすると、どの表現を用いても、洗っておけば良く、洗い終わったからと言っても、妻に報告して指示を仰ぐ必要はないのだが、私の感覚では上記のように意味を取ったので、もし聞かないことにより、妻が困ったりするのも嫌なので、念のために聞いたのである。
妻が、「これ、洗っておいてね。」もしくは「これ、洗っておいてくれる?」と言ってくれればベストなのだが、人により言語の感覚が違うので、中々難しいものがある。
過去に数知れず夫婦喧嘩をしてきたが、上記のような意味の取り違いが原因であったことは多々ある。

人によって言語感覚は違うのである。
我々の場合、妻は関西、私は関東の出身、年の差は対してないが、妻は1970年代生まれ、私は1960年代生まれである。親の年齢にも差がある。家庭環境も、もちろん違う。
そのような違いから言語感覚も違ってくるのである。

妻の言葉で戸惑ったのは数多くあるが、思い出した範囲で書いてみる。
まず、「コップ」。妻が使う「コップ」の意味は、とても広い。
湯呑み、コーヒーカップなども、コップと言うことがある。
ワイングラス、おちょこ、タンブラーなどは、我が家では、めったに使わないので、わからないが、ひょっとしたら、これらも妻にとってはコップかもしれない。

「つくえ」。これも意味が広い。私の感覚では、机は事務机や学習机ぐらいだが、妻は、こたつ、ダイニングーテーブル、座卓も含む概念である。ちなみに、こたつは、こたつ机とも言うので、つくえだと思うが、私の感覚ではこたつはこたつであり、机ではない。それこそ、どういう感覚やねんと言われそうですね。

「結局」と「案の定」。
「結局」というのは、いろいろとあって、最後にどうなったかを言う時に使うと思うが、それもなく「結局」という言葉登場することがある。
「案の定」というのは、こうなるだろうと言う予想が当たった時などに使うと思うが、これも前振りもなく「案の定」となることがある。
でも、この二つは妻の頭の中では、きっちりとしたプロセスがあって出てくる言葉であるらしい。ただ、プロセスが全て言葉として出てこないので、聞いている私は戸惑うわけである。

でも、いまふと思ったが、最近、「結局」と「案の定」という言葉、あまり妻から聞かないような気がしてきた。
本当に使っていないのか、私が慣れて、使われても違和感が感じないのか、はたまた、私が理解できるような話しの筋で、妻が使っているので、私が違和感を感じなくなったからかもしれない。

今日発見したのが、一つありました。
「お菓子」。これは洋菓子や和菓子、スナック菓子、ジャンクフードなど色々なものを含むと思うが、妻の感覚では洋菓子や和菓子は含まないらしい。スナック菓子などの子供が好む安っぽい菓子だけを「お菓子」というそうです。何年寄り添っても、相手のことを完全に理解するまでには至りませんね。
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田中伸次

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